姪からどうしてもピザが食べたい、一緒にどう?と連絡がありました。
私はピザという気分ではなかったのですが、姪の誘いは断らない主義で突然のピザパ。
いつものピザ屋にデリバリをお願いして届けてもらいました。
配達の方がものすごく年配というか高齢の方でびっくり。びっくりというのも失礼ですが、今まではたいてい学生と思うような若い人だったので。
私より年上かもと思うほどの方だったので、悪いけどおじいちゃんです。バイク配達大変だなぁと余計なお世話と言われそうなことを考えました。慣れた感じの方だったので、長く頑張っているのでしょう。大きな挨拶にちょっと元気をもらいました。
さて、姪とピザを食べながらとりとめのない話・・例えば円高の事とか、新NISAの事とか、ドラマの話とかしました。でも仕事の話も多かった。姪もやっぱり仕事で悩みが尽きないんだなと感じました。
悩みの元はほとんどが人間関係ですね。でも人間関係で悩むなんていっちょ前に大人になったなとちょっと感慨深いです。私の中ではまだおしゃぶりをしていた幼児の頃のイメージそのままですから。(笑)
人とのコミュニケーション、付き合いは大人になると難しくなります。学生の頃は気の合う人達とだけ付き合えばよかったけれど、社会に出ればそうはいかない。
嫌だなぁと思う人がいても仕方ないと思ってます。特別な事ではないです。
私もかつての職場で嫌いな人がいました。別に嫌いなままでも良かったけど、仕事を進めるにあたり接することはあり、その都度気が重くなるのも嫌で自分の気持ちを何とか変えられないか?思っていました。
私は嫌いでも相手はどう思っているかわからないですし、私の課題ということになります。悩んだ末、仕事とは全く関係のない接点を作るのはどうかと考えました。
でもだからと言って、ランチを一緒にしたり、仕事帰りにお茶に誘うという気にはなれません。私自身は嫌いな人と食事やお酒を飲むほど無駄な事はないと思っていましたし・・。
ある時彼女が社内でウサギの親になってくれる人を探していました。友人のペットのウサギが出産をして子供の引き取り手を探しているというのです。
私は動物を飼ったことがなかったのですが、甥や姪にも生き物を見せるのはいいかなと思い、男の子を引き取りました。
このウサギを通して、彼女とは仕事以外の雑談をすることも多くなりました。大きくなったとか、ニンジンは嫌いみたいだとか、爪を切るのが難しいとか・・。
その雑談のおかげか彼女に対する苦手意識は薄くなりました。一面だけでなく違う面も垣間見たからかしら。ちょっと苦手意識のある人には雑談で攻めるのもいいかも。
でも・・雑談は出来るようになったけれど、私の気持ちを180度変えることはできませんでした。嫌い→好きにはならない。
それでもパワハラやイジメを受けたわけでもないし、そんなに悪い人でもないとわかったので、仕事の上では少し緊張するくらいの距離感になりました。
それで良かったのかどうかはわからないけれど、私が退社するまで何とか平穏を保てました。
その人の違う面を見よう、あるいは自分の別の面を見せようとするのもいいかなと思います。案外誤解しているかもしれないし。
人は変わるもの、私自身も尖がっていた部分がだいぶ丸くなったと思っています。だから今は苦手と思う人はいても嫌いという人はいません。少し成長したかな。
おそらくずぅ~っと昔から人間は人間関係に悶々としていたんじゃないでしょうか?人間の心ってあんまり進化?進歩?してないですね。
昔からそうなら、自分だけではないなら、人間関係で悩むというのもそれこそ当たり前の事なんでしょう。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
疲れたら横になろう。