ふくみみdiary

   一緒に楽しく

思い描いていたような人生ではないけれど

今週のお題「おとなになったら」

ちょっと視点がずれているのはお許しください。

 

20代の頃は30歳になれば、誰もが素敵な大人の女性になれるのだと思っていました。だから私は早く30歳になりたかった。

30代は仕事も充実していて、お金もあって、センスが身についていて、趣味の習い事なんかもして・・なんて漠然と夢のような毎日を想像していました。

でも30歳の誕生日を過ぎてもそんな風にはなりませんでした。当たり前ですが、な〜んにも変わらない。魔法がかかったように急に環境が変わるわけないですよね。

でも当時は好きなことを仕事にしていたので、働くのは楽しかったです。仕事の面では自信もありました。だからある意味充実した日々だったと言えると思います。この事はラッキーでした。

40代の頃は60歳を超えたらのんびりとした悠々自適の優雅な生活が待っているものだと思い込んでいました。健康面さえ問題なければ、なんの不安もなく好きなことをして暮らしていける、楽しい事しかないと。

でも父の病気、母の世話があり精神的にキツい状態で50代後半を迎えました。変な話ですが、両親がいつかは亡くなり私の前から消えてしまうということをそれまで考えていませんでした。だからその時が間近に迫って自分の気持ちが落ち着かなくなり戸惑いました。

父や母の世話が嫌だったわけではないです。むしろ世話ができることはありがたいと思っていました。大切に育ててもらった恩返しができると思いましたから。

ただ奇跡が起こって父の病気が治るわけでもなく、母の気力が戻るわけでもなく、さらに思うように自分をコントロール出来ない私はいつも苛立っていました。

初めて自分の無力さをとことん思い知りました。

両親が亡くなった後は抜け殻みたいになって、長いこと心が変でした。もちろん悠々自適なんてことはなかったし楽しい事などなかったです。

でもだからといって不幸だったと感じてはいません。人生には山も谷もあるのは当たり前です。誰にでも同じように山や谷があるように思います。

ようやく2年くらい前からトンネルを抜けたと思えるようになりました。

 

今振り返って、いつ大人と実感したかということはわかりません。でもある時期こうやって人間はまた成長するんだなと思ったことがあります。

それは子育てです。私自身には子供がいないので、甥と姪と接して感じたことです。2人の世話をしながら、自分が更に大人になったと感じました。一皮むけたような気分でした。

自分のお腹を痛めた子供ではないので、もしかしたら実の父親、母親が感じるものとは違うかもしれない、きっと違うのでしょう。それでも子供を持つ、子供と接するということが人間に与える影響は計り知れないと知りました。

子供は宝というけれど、他の何よりも大切な我が子という意味の宝、未来を担うという意味の宝、命をつなぐという意味での宝、それだけではなく改めて大人を育ててくれる宝という意味もあるのではと思っています。

「大人」になるってどういうことかな?と考えました。

普通に考えると、多種多様な人、嫌いな人とも上手にコミュニケーションがとれる、金銭管理がきちんと出来て一人で生活できる、何事にも責任感を持つ・・というような感じでしょうか。

ある年齢を境に人格者になるわけではなし、悟りが開けるわけでもないです。誰もが揉まれてだんだんと磨かれてその人になっていくのでしょう。

例えば目標に向かって邁進し、思い描いていたような人になれていばそれは本当に素晴らしいことです。

私はいままでどちらかというと許容度が狭く、今までは四角張ってキツキツな人間だったと思います。この先70になったら限りある時間を大切にしつつ、まぁいいかぁくらいで良しとする遊びの部分を残したような少しゆるい人になっていたいです。

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

なによりも健康第一。
では、また。