今日も洗濯日和、胸の固定ベルトを洗濯しました。洗うと伸びてしまった部分が元に戻るので、着けた時にしっかりと固定されているように感じます。
でも、もう痛みは無いのでこの固定ベルトはしなくて良いのです。でも仕事に行くときは不安で未だに着けてます。着けていれば気をつけようという意識が働くし、なんとなく安心です。
普通ならもう着ける必要なくて喜ぶところですが、でもまだ私はなんだか怖いし踏ん切りがつかない・・。
踏ん切りがつかないと言えば・・話がズレてしまいますが・・
私は何もかも思いっ切ってスバっと終わらせられない所があって自分では欠点だと思ってます。今までも早く決着をつけなかったことに後悔したことが何度もあります。
後先考えずにどんどん決めて進んでいく人がうらやましかったりします。
固定電話を解約する事も数年間悩んでました(笑)。解約したらスッキリしたのでもっと早くすればよかったと思いました。
そしてかつての仕事・・父が病気になった時にすぐに辞めれば良かった。通勤時間も長かったのに、社員とは違う契約に変更をしてもらってずっと続けていました。今考えるとどうして?と思います。もっと近くで仕事を探すという選択肢もあったはず。
母が圧迫骨折で動けなくなった時は流石にキリの良いところで辞めました。母はせっかく今まで頑張っていたんだからと心配していましたが「今の仕事に何も未練はない」と話すと驚いてました。そだったの?という感じでした。
母は私が生き生きと楽しく、そしてキャリアを積むために頑張っていると思っていたらしいです。なので自分のために仕方なく仕事を辞めるのだと思って、それが辛かったようです。
私としては長い間退職を悩んでいたし、かえってきっかけをくれてありがたいと思ったほどです。
この時、もっと早く辞めて父の病気と全力で向き合うべきだったのにと後悔もしました。母をもっと楽にさせることが出来ただろうし、状況を正しくみる力や決断力の足りなさに自分を責めました。
そういえばかつての恋愛もそうだったかも。会うことが義務みたいになって、惰性になって、何やってんだろうなんて思いながら付き合っていたり。そんな時はもっと自分中心に考えて居心地の良い場所を求めても良かったんですよね、きっと。
振り返ると私の人生の中には、心の中ではもう結論が出ているのに、行動が伴わないなんてことが多々あります。表面的には決断力不足。
自分を客観的に見ることも大事です。今どうなの?って。もっとそう出来ていれば、別の人生になっていたのかな?なんて考えてしまいました。
とは言っても、欠点も含めて何もかもが私を今に導いてきました。必ずしも別の人生が良いとは限らないし、今の平穏を思えばこれで良かったのかも。
そんな事考えていました。相変わらず支離滅裂。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
まだまだ熱中症注意。