中国ドラマを見ていると、男性が恋人や妻の眉を描くというシーンがあります。
見ていればそれが愛情表現とわかるのですが、その意味というか由来がよくわかりませんでした。
初めて見た時は不思議な事するなぁと思いました。
中国には「京兆画眉」という故事があります。
前漢の宣帝の時代、京兆尹(けいちょういん)=首都の最高責任者の官職に就いていた張敞(ちょうしょう)の話で、中国の「漢書」に伝えられているようです。
張敞は優秀な人で悪者は厳しく罰しましたが、軽微な犯罪には温情を示し罪を免じるなど善政を行い、広く信頼を得ていました。
そんな張敞を疎ましく思う者が、彼は官吏に相応しくないと非難しました。
張敞は妻と大変仲睦まじく、彼は妻の眉を毎日描いてあげていました。妻の眉は幼い頃のケガのせいで欠損していたからです。
妻の眉を描くという行為が学者や役人の尊厳を傷つけていると考える者が皇帝にこのことを訴えました。当時、女性は非常に低い立場にあり、このような批判に結びついたのだと思われます。
皇帝が大臣たちの前でこの件について張敞に質したところ「夫婦は寝室では眉を描く以上に親密でしょう(眉を描くことくらい大したことではない)」と答えました。
張敞の真意は夫婦であるなら男だから女だからという違いもない、またプライベートなことに立ち入ってその様子をあれこれ噂することこそ品位のない行いであり、いかがなものかと。
皇帝は張敞を責めることはしませんでしたが、官職は解かれました。
参考:
Web展覧会「中国近代の美人画 女性たちの物語」 – 観峰館
張敞は妻をとても愛し大切にしていて、だからこそ毎日彼女の眉を描き、いつしかこのことは夫婦愛の象徴となりました。
張敞は女性達から最高の夫と称賛され、素晴らしい夫の代表となり、このような夫婦の仲睦まじさを誰もが憧れたのです。
そして「眉を描く」姿は夫婦円満を意味するようになり、絵画や陶器のにも描かれるようになりました。
さらに「眉を描く」姿は恋人たちや夫婦の愛情を示す表現となり、歴史ドラマでは時々登場します。
独特な愛情表現でもあり印象に残ります。時にはロマンチックなシーンになり、時には涙を誘います。
でも実際に眉を描いてもらう・・と考えると、気恥ずかしい気もしますね。
「眉を描く」という表現の他にも「髪を梳く」「髪を結う」シーンも登場しますが、これも夫婦や恋人同士の間では愛、信頼関係の証のように感じます。
髪と言えば、簪や櫛を贈るのも特別な思いが込められているようです。
こういうことも知っているとドラマや映画を見た時に、台詞はなくともその思いがわかり理解が深まります。
こんな風に更に中国ドラマの深みに嵌っていくのも楽しいです。
最後まで読んでくださってありがとうございます。