若い頃からずっと老後は優雅にと思っていました。
今、老後に差し掛かって優雅に生きているだろうか?と時々考えます。
長いこと優雅に生きるためにはやはりお金が重要なポイントだと考えていました。
行きたいところに行き、食べたいものを食べ、センスの良い服を着て、高級な化粧品を使い、趣味の教室へ通ったり、ジムの会員になったり・・。
こういう事をするには何よりお金に余裕がなくてはならないですね。
だから今までもそこそこ頑張って貯蓄に励んできました。貯蓄すること自体が私には楽しみでもあったので、このことに後悔はないです。
でも、頑張った割には使い切れないほどのお金が貯まったわけでもない・・現実は厳しい。振り返れば無駄遣いも多かったな・・。
昨今の年金のこととか物価の上昇、電気代の値上げなどを思うと10年前と同じではないし、生きていると何かとお金がかかるし、なんとなく年をとるごとに生きづらいなぁと思ったりしています。
でもお金がないと優雅に生きられないのかしら?
そんな疑問が湧き上がりますが、最低限の暮らしを維持するお金は必要ですよね。でも裕福でなくてもいいのでは・・。
少し前までは優雅=裕福と考えていました。でも最近は負け惜しみではなく、優雅に生きるということは裕福である事とは違うなと思うようになりました。
私、今までは外側だけ見ていたような気がします。素敵なバッグとか高級そうなコートとか。それも優雅の一面かもしれないですが・・。
改めて考えてみると優雅という言葉のイメージってどんなでしょう。
気品がある、自由である、心にゆとりがあるなどでしょうか。他にも家族円満で仲の良い穏やかな生活とか好きな仕事をしている事など上げる人もいるかもしれませんね。
これらの事は裕福とは直接は関係ないように思います。
私はいままで優雅な生き方ということを間違って理解していたんだと思います。
お金は少なくても心が自由で気高く、自分らしく生きることが優雅に通じるでしょう。
ずっと優雅に生きたいと思ってきましたが、結局は毎日を楽しく生きる姿が優雅ということかな?
毎日を生き生きと楽しく過ごしている、穏やかに自分らしく生きている、他人への配慮が出来て優しい、こういう人は優雅に見えます。
私もお金は少なくても楽しく、心にゆとりを持って、優雅な老後で終わりたいと思っています。
友人に言わせると、私も優雅なんだそうです。一人暮らしで何の柵もなくのほほんと生きている私は優雅に見えるんだそうです。からかい半分の言葉なんですが、はたから見るとそうなのかな?
自分ではまだ人間としてまだまだと修行が足りないと思う部分もあり、優雅とは程遠い感じです。
これからは「優雅に生きる」という意味を考え直し、自分を軌道修正してみようと思いました。
まずは心を広く持ってイライラしないことから・・出来るかなぁ・・。
もちろん時々は贅沢をして楽しむこともしたいです。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
明日も良い一日に。
では、また。