ふくみみdiary

   一緒に楽しく

春風を以って人に接し・・

今日は朝方雨が降って良いお湿り。花粉の飛ぶ量は多いようで、気温も昨日と比べずいぶん低くなるので要注意です。夜は寒そうです。体調管理に気をつけてください。

「春風を以って人に接し 秋霜を以って自ら粛む」
しゅんぷう を もって ひとにせっし しゅうそう を もって みずから つつしむ

神楽坂の赤城神社にお参りした際に頂いてきた令和5年3月の「生命の言葉」です。(そのままに表記しました)

江戸時代の儒学者佐藤一斎の言葉。博識で温厚篤実な方だったそうです。
意味は「他人には春風のような暖かさで接し、秋の霜のような厳しさで自己反省する」です。

いつも心に留めておきたい言葉です。頭ではわかっていても難しい・・。特に春風のように人に接すること。

誰にでも暖かい心、優しい心で接するべきとは思いますが、いつでも、すべての人にと言われると私はなかなか出来ない。

暖かく接するというのは気持ちよく優しく相手を受け入れるということ、気持ちよく付き合うということでしょうか。

 

若い頃よりは角が取れて丸くなったと自分でも思いますが、それでもまだ人との中でイラッとする時もあるし、腹の立つこともあります。まだまだ修行が足りないのでしょう。

私は仕事場で備品が空になっているにも関わらずそのままだったりするとイラッとするし、口には出さなくても心のなかで結構「まったくもう・・」と思っていることが多いです。

他にも「今どきの若い者は・・」なんて思うと、今までの常識は今では通用しないということをわかっていても軌道修正したくなってしまいます。

そんな風にイラッとしている時に発する言葉や態度は優しくはないだろうし、当事者を暖かく受け入れることは難しいです。接点の多い人とはやはり上手くいかないこともあります。

振り返ると、30代の頃はいつも何かに怒っていました。自分の物差しでしか物事を見られず、いつもイライラしていました。その上当時は仕事がハードだったので、体も疲れていたし病気もしたしボロボロでした。

あの頃は人に暖かい心で接するということは大変でした。ギリギリ状態の自分にがっかりしたし、自分にも腹を立ててました。なんでこうなんだろうって。そうなると更に自分を追い込んでしまってよくない方向へ進んでしまうのです。

今考えてもあの頃はきっとずいぶんと嫌なヤツだったろうと思います。抜け出せない沼にはまってしまって悪循環の中にいました。

でもだんだんと年齢を重ねて行くうちに「どうでもいい」と思えることが増えてきて、気持ちが楽になってきました。これは単純に年を取って考え方が変化したから?あるいは時間や生き方に余裕ができたから?

たぶんセンサーが錆びついてきて鈍感になってきたのでしょう。

 

誰でも積極的に他人から嫌われようと思う人はいないと思いますが、逆にすべての人から好感を持たれるなんてことはおそらく不可能。

でも嫌われたとしてもそれは自分のせいかもしれないけれど、もしかしたら相手側の問題かもしれない。だから自分が正しいならばあまり気にしなくていい、どうでもいいと思うようになりました。

30代の頃の私は他人に心を向ける余裕がないと言いながら、他人のことが気になって気になって仕方がなかったんですね。人の目を気にしすぎて自分を追い込んでしまったし、その結果自分にがっかりして気持ちに余裕がありませんでした。

生きる上では多少鈍感でいたほうが楽だろうと思います。鈍感でいられれば、自分の気持ちを揺さぶられることも少ないでしょう。

どうしたら誰にでも春風のように暖かく接することが出来るのかしら?私はそういう神様みたいな人にはなれないなぁ。自分に自信を持つこと?

それでも普段から気持ちよく人と接することを心がけていれば、人の目も気にならなくなるように思います。自分が春風のようであれば、周りの人も春風のようになって良い関係が築けるのかも。

今日はそんな事を考えました。

なんだか支離滅裂な内容になってしまいました。反省です。^_^;

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

優しい気持ちで。
では、また。