ふくみみdiary

   一緒に楽しく

喪中の葉書でちょっとセンチになりました。

今日は朝方かなり雨が降りました。午後からは天気も良くなりましたが、寒々しいです。温かいものが欲しくなります。

 

友達から喪中の葉書が届きました。

今年の初めにお母様がなくなって、その時にも連絡をもらっていたので知っていたことではありますが、改めて届いた喪中の葉書を見て私達もそれなりに年を取り、親を見送る年になっていたんだと思いました。

友人達の親の中では彼女のお母様が一番長生きされました。92歳だったそうです。

彼女は結婚後もお母様とずっと一緒に暮らしていたので、その別れの喪失感はさぞかし大きかったでしょう。

聞けばずっとお元気で病気もなく、入院などもしたことのない方だったそうですが、最後は何かのウィルス(コロナではありません)が原因で倒れ、高齢ということもあって助ける方法がなかったということでした。

私は、彼女のお母様が90歳を超えてもお元気だったこと羨ましく思いました。

私の母は85歳で突然亡くなりました。脳出血であっけなかったです。90歳くらいまで頑張ってほしかったな。今思えば、もっと話したかったし聞きたい事もありました。でもその願いはもう叶わないです。

一緒にいる時は面倒とかうるさいとか思ったこともありましたが、永遠に一緒にいられるわけではありません。いつか必ず別れが来ます。

母の死が迫った時(父の時も)、私はたくさん後悔しました。自分の無知が腹立たしかったし、本当に無力なことが情けなかった。

だからといっていくら知識があっても、私が優秀な医者だったとしても助けられなかったはず。寿命です。

職場にも高齢のご両親がご健在という方が何人かいます。大丈夫と思っても出来るだけ多くの時間一緒に過ごしてあげてと話しています。それこそ休みをとって会いに行ってと勧めています。

家族の事情は様々ですから、一緒に住むということにはならない人もいるでしょう。だからこそ出来るときに電話をしたり、都合がつけば会うことが大事だと思います。

その時は思いがけず突然やって来るからです。

私は母とずっと一緒でした。一緒にいて安心だったし心強かったけれど、血の繋がった親子ですから言いたいことを言って喧嘩もしました。もし、私が嫁の立場ならこうはならないのだろうなと思ったりしました。

でもそんなふうに喧嘩をしたり、言い合ったり出来るのは幸せだと今は思えます。確かに親子だったなと振り返ることが出来ます。それでもいつも優しく接するべきだったと後悔もしていますが。

友人からの喪中のはがきでそんなことを考えました。
そしてちょっとセンチになりました。


今日のランチは中華丼にしました。

本当はイカとかエビを入れたかったけれど、冷凍庫にシーフードミックスはなかった。なので、野菜だけの中華丼です。白菜、小松菜、にんじん、玉ねぎです。

かなりの量の野菜を摂れたと思います。とりあえずお腹も満足出来ました。

 

最後まで読んでくださってありがとうございます。

穏やかな一日を。
では、また。