先日、中国清朝の後宮を舞台にしたドラマでよく見る女性のつけ爪についてお話しましたが、今回は髪型。
清朝の男性の辮髪もそうですが、女性の髪型も不思議ですよね。見慣れてしまえば何ということないですが、冷静に見ると毎朝大変そうだなぁ思います。
そして年代を追って上へ上へと大きくなっていきますね。
こういう現象は中国だけでなく、フランス18世紀マリーアントワネットの時代の貴族の女性達にもありました。かなり風変わりなヘアースタイルが流行していました。
画像:ポーラ文化研究所
18世紀フランス、貴族の華やかなよそおい | ポーラ文化研究所
日本でも女性の髷は、例えば遊女たちの競争心からどんどん目立つように進化したんですって。
話がそれてしまいましたが、清朝時代の女性の髪型「両把頭(りょうはとう)」は髪を額中央から左右に分けてまとめて横に倒す髪型。始めは寝る時に邪魔にならないようにとこのようになったようです。
当初は地毛をまとめるだけで横に垂らすお団子のような感じだったものが、巻きつける位置が少しずつ上の方になり正面が広く見えるように、そして更に大きくするためにカツラを使いました。
清朝後期になると旗頭(大拉翅)と呼ばれる板状の装身具になりました。年代を追うごとにだんだんとエスカレートしたわけです。
ただドラマや映画ではその年代に合わない髪型になっている場合もあり、誤解を招くこともあるらしいです。
画像:百度
清朝の後宮では初めから末期までに女性のヘアースタイルはものすごく変わりました。初期の頃は皇太后や皇后でも普段は髪に宝石は付けておらず季節の花を刺していたようです。もちろんこの頃は地毛をまとめていましたから、あまり重いものは付けられないのです。
康煕帝の時代でさえ皇太后、皇后も普段は髪にはアクセサリーを付けていなかったそうですが、乾隆帝の時代になると国も安定し財政的にも豊かになり後宮の女性たちのファッションもどんどん豪華なものへと変化していきました。
乾隆帝の時代は清朝において最も繁栄し手工芸産業が急速に発展しました。美しい宝石や凝った作りの簪などが後宮の女性たちを楽しませましたが、これらの重さに髪が耐えられないという問題がありました。
その後重さに耐える工夫がなされてカツラを使って高く持ち上げるようになり、更に正面を平らにしてたくさん付けた簪などを良く見えるようにしたのだそうです。
画像:sina.com
この「両把頭」は後宮の女性たちの競争心を更に掻き立てたでしょう。妃位が高ければ生活も裕福で高価な飾りも付けられたでしょう。宝石をあしらった髪飾りも妃たちのステータスを表すものの一つとなりました。
後宮の妃位は
- 皇后
- 皇貴妃(臨時的な位)
- 貴妃
- 妃
- 嬪
- 貴人
- 常在
- 答応
定員が決まっている妃位もありましたが、乾隆帝は定員以上の側室がいたのだそうです。
清朝の後宮には多くの人がいました。皆、給料制だったらしくそれを「宮份」と言いました。
皇太后、皇后、妃たちも「宮份」制で現金の他に綿花、毛皮など現物支給もあり、毎日の食料品まで決まっていたとか。
食料品は仕える使用人達の分も入っていて、支給分で賄えなければ使用人の数を減らすしかなかったそうです。つまり自分に仕えている人は自分が養っていくわけですね。
逆に言うと使用人の数が多い人は高給取り、妃位が高いと言えるでしょう。時々寒いのに炭もないという妃も登場しますが、位が低くて「宮份」が少ないのかも知れません。
こういう後宮にいるのならやはり高い位を望むのは当然のことかもしれません。皇帝の寵愛を受けること、皇子を生むことは愛からくる単なる願いとはちょっと違う、死活問題と言ってもいいでしょう。
意地悪や嫉妬や陰謀・・仕方ないかも。
後宮の妃達の中で本当に幸せだった人はいたでしょうか?
最後まで読んでくださってありがとうございます。
心も休めましょう。
では、また。