最近いろいろなことへの「こだわり」を捨てること、諦めることが出来るようになって来ました。自分では良いことだと思っています。
若い頃と比べると物事を良い意味でテキトーに考えられるようになりました。
私はどちらかというと完璧主義で変なこだわりなんですが、自分が思い描いたように物事が進まないとイライラする傾向にありありました。
それは一日のスケジュールでも、1ヶ月のスケジュールでも。
そんなわけで、急な変更とか急な予定は大の苦手。想定外のことが起こると気持ちがざわついて落ち着かなくなってました。
それが、60歳を過ぎたあたりからすこしずつ許容範囲が広くなり、そんなこともあるよねと思えるようになりました。そして人には寛容になりました。
変なこだわりや完璧を少しずつですが諦められるようになったからだと思います。
若い頃は仕事なら失敗したくないので、事前に用意周到に準備をしてやる順番を決めていました。時間を無駄にすること無く、スムーズに進むように準備をしたりイメージトレーニングにこだわっていました。予習を十分にして本番では完璧にと考えていました。
でも、思い通りに行くとは限らない。一人ですることならともかく、何人かですることはむしろ思い通りにいかないことのほうが多いのです。
そして、上手くいかないとイライラしたり腹を立てたりしていました。そういう時は余計に疲れるし自分にもがっかりして落ち込みました。
どうなるかわからないけど、とりあえずやってみようか・・ということが出来ませんでした。
他の人のいい加減さが許せなかったり、大雑把なことが嫌でした。自分もきっちりするし、他の人にも厳しかったです。
とにかく隙なくきっちりと終える事にこだわっていました。
今でも予習は必要だと思っていますが、私の「こだわり」は自己満足のための「こだわり」だったかもしれないと今は思います。
こうじゃなくちゃ駄目とかこれじゃ意味ないと思うような「こだわり」を捨てることが出来るようになりました。
今は「やってみて駄目なら仕方がない」とか「そこそこ目的が達成できればいい」「今日出来なければ明日でいい」と思えます。
今までも完璧!と思っていたことも自分が見ての完璧で、本当は不完全なものだったのかもしれません。そう思うと私の「こだわり」は余計なものですよね。それこそ意味がないものです。
完璧主義って自分で自分の首を締めているようなところがあります。
完璧にやろうということを諦めればプレッシャーから開放されて、気負いもなくなるし、ストレスも減って楽なはずです。
自分だけでなく他の人に対しても、このくらいでいいんじゃないか、そういうやり方もあるよねと考えられればイライラも減りますよね。
「もうそのくらいで十分だ、よくやった」と自分を少し甘やかすことが出来れば、他の人にも優しくなれると思います。また駄目だった・・ではなく、ここまでは出来た!と考えられれば前向きになれますね。
若い時はずいぶん尖ってキリキリしていたけれど、この年になってようやく角が取れてきたようです。
腹を立てたり、イライラしてばかりの人生なんて損です。それほど無駄なことはありません。
例えば、職人が技を極める為にある「こだわり」ならともかく、自己満足のための「こだわり」は捨てれば楽になります。
残りの人生を楽しみたい。楽に生きましょう。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
時の経つのが早いです。
では、また。