今年はお正月用におせち的な物を何も用意していませんでしたが、たまたま黒豆(煮)を見つけたので遅ればせながら昨日買ってきました。
黒豆は母を思い出させます。
かつて母は年末になると黒豆を煮ていました。前日に丸一日水につけてもどし、弱火で何時間も煮込むので徹夜をして作っていて、なんて手間のかかる事をと思っていました。
年末に母が台所にこもることは、毎年のことで我が家では行事のようになっていたんです。
サビつきの釘を入れるとか、絶対に蓋を開けてはいけないとか、炊きあがった後一昼夜つけておくとか昔からの知恵がいっぱい詰まった料理です。
そして年が明けると、その黒豆は筑前煮やなます、焼き魚やエビ、伊達巻、数の子などと一緒にお重に入れられテーブルの上に置かれているのでした。
黒豆はつやつやでふっくらとしてシワひとつない愛情たっぷりな姿。食べればもちろんほんのりと甘く本当に美味しかった。
今思うといくつもの料理を重箱に入れるのも結構センスが必要な気がします。彩りや量を考えて見栄え良く入れていくのは大変でしょう。
重箱には「福を重ねる」という意味があるそうですが、重箱自体がよく考えられた器だし、装飾も美しいし、蓋を開けて色々なお料理が並んでいる様子もキレイでした。
母のみならず昔の主婦は毎年大変だったろうと思います。
最近はおせち料理をセットで買うことも出来ますが、20代〜30代の若い人たちがお正月の伝統を大切に考え、おせち料理を作ることにも熱心な傾向があるそうです。
中に入れるお料理は多少変化しているようですが、それでもおせち料理の文化が長く引き継がれていくと思うと嬉しい。
私の母は料理が上手だったと言えると思いますが、ただ美味しい料理というだけでなく、手間を惜しまずなんでも一生懸命作る姿を尊敬していました。今思うと凝り性だったのかもしれません。
以前私が「本格的でスゴイよね」と言ったら「こんなことしか出来ないから」と言ってましたが、かつてはお湯が蛇口から出るわけでもなく、便利な調理グッズもなく、寒い台所で大変だっただろうな。
今になってもっと真剣に母から色々教えてもらえばよかったなと後悔しています。
すいません、ちょっと母自慢になってしまいました。